私が初めて「算法少女」と出会ったのは2009年の春だった。早いもので、もう7年前になる。
場所は、渋谷駅近くの某書店。平積みされた文庫の「算法少女」の前で、私はしばらく逡巡した。
買おうか? 買うまいか?
帯を見ると児童文学の賞もとっている。見るからに良い本だという風格である。
しかも、和算という珍しいジャンルを扱っている。いままで和算の映画などなかったはずだ。
「これはイケる!」と、私のセンサーはすでに反応していた。
逡巡したのは、これを買ってしまうと、みすみす自ら重荷を背負い込んでしまうそうな気がしたからだ。そのとき私は、ある別な企画で悪戦苦闘の最中だった。
しかし、結局、買ってしまった。
読むと、案の定、面白い。で、またまた、案の定、映画にしたいと思うのだった。
当初は実写でやろうとした。監督も自分でやりたいと。


鉄は熱いうちに打てということで、早々にシナリオ作りにとりかかった。少女ものだし、原作者も女性なので、私のような武骨なオヤジでなく、女性ライターがいいので高野さんに参加してもらった。
上がった企画書とシナリオを持ち、いろんな製作会社を回ったが、色よい返事は返ってこない。
原因はいろいろあろうが、ひとつは、主人公が13歳の少女というのが難点か。その歳で主役をはれる女優が日本にいない。もう少し上だと、人気アイドルがわんさかいるのだが。


実写がダメなら、アニメにしようと思った。
知り合いに外村さんという才能ある自主のアニメーターがいたので、彼と何か一本仕事がしたいと思っていたところでもあり、早速彼にこの話を持ちかけてみた。
その結果、彼もまた人生に果てしない重荷を背負うはめになるのである。
筑摩書房と、アニメ化の件で契約を交わしたのが2009年の10月。
当プロジェクトはここからスタートした。


外村さんの作画がほぼ完了し、ようやく声優さんたちのオーディションに取りかかったのは、2013年の夏だった。つまり、作画に4年を労している。
アニメーション制作といっても、我々のは、多くのスタッフを抱えた通常のスタジオ制作ではなく、外村さんがたった一人、パソコンでコツコツ描きあげるものだ。
インディーズ・アニメというのは、通常30分未満の短編が多い。だが、本作はなんと98分もある長編アニメである。そんな長尺物をたった一人で描き上げるのは並大抵のことではない。暴挙という他ない。4年かかるのも腑に落ちよう。
この間の苦労は、外村さんにしかわからない。聞くのが怖い。


さて、声優オーディションには140名近くエントリーがあり、3日間に渡って、その全員に会って、声を聞かせてもらった。
結果、主役のあきに須藤沙也佳さん、その想い人・山田多門に木村淳さん、あきのライバル・中根宇多に杉原夕紀さんら、素晴らしい才能と出会えた。
また、オーディション枠とは別に、ベテラン陣として、初代ウルトラマンのスーツアクター・古谷敏さん、東宝ベテラン俳優・加藤茂雄さん、新国劇出身で時代劇の生き字引・森章二さん、後に訳あって急遽参戦してくれた嶋田久作さんら、インディーズ作品らしからぬ充実の顔ぶれだ。


2013年10月、八王子のスタジオにてアフレコ開始。みんな初心者であり、全部録り終わるまで6日間を要す。
アフレコが終わって、そこからまた苦難が始まる。
音楽と音効の人を捜さなければならないのだが、これが難航に難航を重ねた。お金があれば通常円滑に解決する問題だが、とにかくこちらにお金がない。ただひたすら頭を下げて、過酷な条件をのんでもらうしかないのだ。自分で自分を、鬼か、人でなしだと思った。
そこで、気の毒にも囚われの身となってしまったのが、音楽家の真柴史朗さんと音響の高木創さん。
真柴さんは某映画祭で知り合い、私がそれ以後キープしていた才能だ。高木さんは外村さんのツテである。この二人が参加してくれて、なんとかゴールが見えてきた。


作品に、音楽も効果音もついて、一応完成形に近づいたのが2015年。
すでにアフレコから1年以上の年月が流れていた。が、その間何をしていたのかというと、よく思い出せないところもあるが、とにかくひたすら音楽家と音効マンを捜していたし、追加アフレコもあった、太鼓や長唄の録音もあった。なんだかんだやっていた。


2015年春、調布で関係者のみの完成試写会。スタッフ・キャストも、いつできるものやら、本当に出来るのだろうか、と不安視していたに違いないから、これでひとまず顔が立ったというものだ。
しかし、今回の劇場公開まで、さらに1年半を要するのである。
グダグダと何をしているのだ、と思われようが、興行には大人の事情というものがあって、作品を劇場にかけるということは本当に大変なのだ。
詳しいことは書かないが、本当にどいつもこいつも*****だ!


それでも、今回どうにか、みなさんにお披露目できるのだがら、これをハッピーエンドと言わずして何と言おう。
7年前に予感した重荷は、確かに重荷だった。
だが、いろいろあって喜怒哀楽満載の、なかなか面白い7年間だったとも言えるのかもしれない。


プロデューサー 三村 渉